1980年1月21日、ロンドン。金の値決めは1トロイオンス=850ドルを付けた。当時の米国は二桁のインフレに苦しんでいた。物価が上がるなら金を持て、という理屈は、その日まで正しかった。そこからの2年半で、金は3分の1近い水準まで落ちる。インフレが終わったからではない。金利のほうが、先に動いたからである。
46年後の2026年9月23日。米国の景気指標は、物価の上昇圧力が強まっていることを示した。そして金は売られた。ニューヨーク先物は1トロイオンス=4,330.20ドル、前日比1.06%安。取引時間中の安値は4,310.70ドルである。銀はさらに大きく、2.10%安の65.13ドルとなった。
その日、何が起きていたか
9月23日の米東部時間午前9時45分、S&Pグローバルが9月の購買担当者景気指数(PMI)速報値を公表した。総合58.4。前月の56.0から上振れし、2021年7月以来の高さとなった。製造業は57.0(前月53.9、市場予想53.6)、サービス業は58.7(前月56.5、予想56.0)。いずれも大幅な上振れである。そして企業の投入コストは、2022年10月以来の速さで上昇していた。燃料、輸送、人件費が押し上げたと報じられている。
物価上昇の兆しである。教科書どおりなら、金は買われるはずだった。実際には逆に動いた。理由は、同じ指標が別のものも動かしたからである。米10年国債の利回りは5.122%、取引時間中に5.135%と2007年以来の水準へ跳ね上がった。前日終値の4.967%から15.5bpである。金利先物から算出される10月27〜28日の会合での利上げ確率は73%へ飛んだ(CME FedWatchの集計、CNBCによる)。
ここが要点になる。金は利息を生まない。持っていても、配当も利金も入らない。したがって金の対抗馬は常に「利息を生む安全資産」、すなわち国債である。国債の利回りが上がれば、金を持つことの機会費用が増す。奇しくもこの日、ドルも全面高となった。ユーロドルは1.1390と0.50%のドル高である。ドル建てで取引される金にとって、ドル高は重しになる。
9月23日の前日比騰落率(米東部時間14時11分時点)
出所:CNBCの気配値。取引時間中の数値であり、終値ではない。ユーロドルの下落はドル高を意味する。同じ時刻、米10年債利回りは4.967%から5.122%へ0.155%ポイント(15.5bp)上昇している(利回りは騰落率になじまないため本図では扱わない)。
1980年と2013年、そして今日
歴史の鏡に映すために、二つの局面を置く。1980年代初頭と、2013年である。いずれも「インフレなのに金が下がった」あるいは「物価が落ち着いていないのに金が崩れた」局面として記憶されている。
| 項目 | 1980〜1982年 | 2013年 | 2026年9月23日 |
|---|---|---|---|
| 金融政策の局面 | ボルカー議長の急激な引き締め | 量的緩和の縮小観測(テーパリング) | 利上げ局面、10月の追加利上げ観測 |
| 名目金利の動き | 政策金利が一時20%前後まで上昇 | 米10年債が約1.6%から約3.0%へ | 米10年債が4.967%から5.122%へ(1日) |
| 物価の状況 | 二桁のインフレが進行中 | 落ち着いていた | 投入コストが2022年10月以来の速さで上昇 |
| 金の動き | 1980年1月の850ドルから大幅下落 | 年間で約28%下落 | 1日で1.06%安の4,330.20ドル |
| 共通する力 | 名目金利の上昇が、金を持つ機会費用を押し上げた | ||
| 違う点 | インフレ退治の初期で、実質金利が急上昇 | インフレ不在のまま金利だけ上昇 | 景気の強さと物価上昇が同時進行 |
三つの局面に共通するのは、物価の水準そのものではなく、金利の「動き」が金を動かしたという点である。1980年代は物価が高いまま金が落ちた。2013年は物価が低いまま金が落ちた。物価の方向が正反対でも、同じ結果になっている。
当時、その後に起きたこと
1980年の高値の後、米国の政策金利は引き上げられ続け、一時20%前後に達した。物価上昇率を差し引いた実質金利が大きくプラスに転じたところで、金の下落は本格化する。利息を生まない資産にとって、実質で高い利回りが得られる国債は、最も強い競合になった。金が1980年の水準を名目で回復するのは、2000年代後半まで待つことになる。
2013年は違う経路をたどった。バーナンキ議長が資産購入の縮小に言及したことで長期金利が上昇し、金は年間で約28%下げた。数十年ぶりの下落率である。ただしこのときは、金融緩和そのものが終わったわけではなく、下落は2015年末で底を打った。
ここで注意しておきたい。歴史は韻を踏むが、反復はしない。1980年と2013年では、下落の深さも期間もまったく違う。共通していたのは方向であって、幅ではない。今日の1.06%安をこの二つの延長線上に置くのは、まだ早い。
「今回は違う」論の検証
今回が過去と構造的に異なる点を3つ挙げ、それぞれ検証しておく。
第一に、価格の出発点が違う。今日の金は4,330ドル台にある。1980年の850ドル、2013年の1,200〜1,700ドル台とは桁が異なる。この10年余りで金は大きく水準を切り上げてきた。高い水準から1%下げることと、天井から下落相場に入ることは同じではない。今日の下げは、直近の高値圏からの小幅な調整の範囲にとどまる。
第二に、買い手の顔ぶれが違うとされる。近年の金市場では中央銀行の購入が価格を支えてきたと広く指摘されている。個人や投資ファンドが利回りを比べて売買するのに対し、外貨準備の分散を目的とする買いは金利水準に反応しにくい。ただし、その規模がいまも続いているかを本稿で確認することはできていない。この論点は「そう指摘されている」以上の重みで扱うべきではない。
第三に、実質金利の位置が違う。1980年代の下落は、実質金利が大きなプラスに転じたことが決定打だった。今日の局面では、名目の10年債利回りが5%台に乗った一方で、物価上昇の圧力も同時に強まっている。名目金利の上昇が、そのまま実質金利の上昇になるとは限らない。ここが、1980年との最も大きな違いである。
名目金利と実質金利。名目金利は、債券に表示されている利回りそのもの。実質金利は、そこから予想物価上昇率を差し引いたもの。金にとって効くのは主に後者である。名目が5%でも物価が4%上がるなら、実質は1%にすぎない。今日のように「金利も上がるが物価見通しも上がる」局面では、名目の派手な動きほどには実質が動いていない可能性がある。金の下げが1%台にとどまったことは、この見方と整合的である。
歴史が示す3つの教訓
第一に、金は「インフレへの保険」である前に、「利息を生まない資産」である。物価が上がるという知らせは、金にとって追い風にも向かい風にもなる。その知らせが中央銀行を動かすと読まれた瞬間、向かい風に変わる。1980年も2013年も、そして今日も、金を動かしたのは物価そのものではなく、物価に対する中央銀行の反応の予想だった。
第二に、見るべきは名目金利ではなく実質金利である。10年債が5%になったこと自体は、金にとって決定的ではない。物価の予想と差し引きしてどうかが効く。ニュースの見出しは名目金利を伝えるが、金の値動きを説明するのは差し引きのほうだ。
第三に、ドルの動きを同時に見る。金はドル建てで取引される。ドルが全面高になれば、金の需給が変わらなくてもドル建て価格は下がりやすい。今日はユーロが0.50%下げており、ドル高が同時に起きていた。金の1.06%安のうち、どこまでが金利で、どこまでがドルかは分けて考える必要がある。
今回固有の監視点
今後の判断材料になる日付を挙げておく。9月30日に米8月のPCE物価指数が出る。FRBが最も重視する物価指標であり、今日のPMIが示した「コスト上昇」が実際の物価に現れているかを確かめる場になる。10月2日には米9月の雇用統計。そして10月の米連邦公開市場委員会(FOMC)が、今日跳ね上がった利上げ確率の答え合わせになる。
日本の読者にとっては、もう一つの経路がある。円建ての金価格は、ドル建て価格と為替の掛け算で決まる。今日ドル円は158円20銭まで円安が進んだ。ドル建ての金が1.06%下げても、円安がそれを打ち消せば、円建ての価格は下がらないこともある。国内の店頭価格を見ている読者は、この二つを分けて確認してほしい。
金利上昇が株式に与えた影響はこの記事に、円安の経緯はこの記事にまとめた。FRBの利上げそのものの整理はこちらにある。
主な参照
- 金・銀・ドル円・ユーロドル・米国債利回りの気配値(9月23日14時11分=米東部時間)/CNBC
- 米9月PMI速報値(2026年9月23日公表)/S&Pグローバル
- 10年債利回りが2007年以来の水準/AP通信
- 金の長期価格推移/LBMA(ロンドン貴金属市場協会)
- 米国の政策金利の歴史/米連邦準備制度理事会
- 米PCE物価指数・雇用統計の公表予定/米商務省経済分析局、米労働統計局
データ基準日:2026年9月23日(米東部時間14時11分)。金・銀・為替・米国債利回りはいずれも取引時間中の気配値であり、終値ではない。米国市場の取引終了は日本時間24日午前5時で、その後の変動は反映していない。過去の局面に関する数値は一般に知られた市場史にもとづく概況であり、集計期間や情報源により幅がある。中央銀行による金購入の規模について、本稿で最新の数値を確認することはできていない。10月の利上げ確率は金利先物から算出される推計値で、算出元と時点により数値が異なる。本記事は情報提供を目的としたものであり、特定の商品の売買を推奨するものではない。投資判断はご自身の責任において行っていただきたい。












