11月3日火曜の朝、ニューヨーク。米中間選挙の投票が始まったその朝、原油のトレーダーたちの画面では、北海ブレント原油先物が1バレル107.24ドルを付けていた。夜のうちに、米軍がイランのケシュム島を攻撃したと伝わっていた。数時間後、その価格は100.80ドルにあった。6ドル44セント、率にして6%の急落である。そして同じ日の決済価格は103.60ドル、前日比わずか1.17ドル安だった。
この日の原油は、何も決まっていないのに激しく動き、結局ほとんど動かなかった。その一日を巻き戻すと、いまの原油相場が何に反応し、何にまだ反応していないのかが見えてくる。
最初の見出し:最高指導者が「交渉を認めた」
最初の急落は、ブルームバーグの名を冠した速報見出しの直前に始まった。米石油情報サイトのオイルプライス・ドットコムによると、見出しは、イランの最高指導者がこれまで交渉の対象外としてきた問題について、交渉を認めたというものだった。
ところが、元になったペゼシュキアン大統領の発言は、もっと狭いものだった。最高指導者は政府に追加の交渉権限を与えた、とだけ述べ、どの問題についてかは特定していなかった。見出しと発言の距離が問題になり始めたころには、価格はもう滑り落ちていた。
2度目の急落は午前8時20分ごろに来た。中東の衛星テレビ、アルジャジーラが、カタールの仲介で示された合意案を米国が承認したと報じた時間帯である。続いて、イランが核開発で譲歩し、その見返りに凍結資産が解除されるという筋書きを伝える報道も流れた。
11月3日、ブレント原油の一日(米東部時間)
読み方:6ドル余りの急落は、確認されていない見出しの連続のなかで起き、決済では1ドル余りの下げに縮んだ。出所:ロイター、OilPrice.com。8時20分ごろの時刻は報道に時間帯の記載がない。
打ち消し:「合意はまだ遠い」
打ち消しは二方向から来た。イランの政府高官はロイター通信に、米国との戦争を終わらせる合意には「まだ遠い」と語った。テヘランは、自らの条件が満たされるまでホルムズ海峡は再開しないという立場を崩していない。仲介役のカタールは、双方が提案を検討していると認めたうえで、合意は発表されていないと述べた。
米東部時間の午前10時を少し過ぎたころ、ブレントは104ドル近くまで戻っていた。安値から3ドル近い戻りである。オイルプライス・ドットコムの記事を書いたジュリアン・ガイガー氏は、一連の見出しが下げの原因だったとは断定できないとし、アルゴリズム取引が値動きを増幅した可能性を指摘している。誰が売ったのかは、まだ誰にも分からない。
同じ頃、東京は文化の日で市場が閉じていた。日本の投資家がこの6ドルの往復を知ったのは、翌4日の朝になってからである。
巻き戻し:前日の7.6%安から続く物語
この日の値動きは、前日から続く物語の第2幕にすぎない。11月2日、ブレントは7.6%下げて104.77ドルで引けた。イランとの和平が近いという観測が広がった日である。本誌はその下げがガソリン価格にどう届くかを追った。
その夜、米軍がケシュム島を攻撃した。米当局者は、標的は米国の資産に使われた地対空ミサイルだと説明し、別の当局者は限定的な攻撃で、大規模な戦闘の再開ではないと述べた。この攻撃に原油がほとんど反応しなかったことは、前回の記事で書いた。
二つの声:和平の売りと、在庫の買い
この相場には、二つの声がある。一つは、オランダの金融大手INGの声だ。同社はリポートで「前向きな兆しはあるが、緊張激化のリスクが去ったと考えるのはおそらく早すぎる」と書き、そのうえで「和平協議の進展をはっきり示す材料が出れば、価格はさらに下がる」と続けた。和平の見出しが出るたびに売りが走る、という構図そのものである。
もう一つの声は、米国の石油タンクから聞こえてくる。大引け後、米石油協会(API)の週間統計が伝わった。オイルプライス・ドットコムによると、10月30日までの週の原油在庫は526万7,000バレル減った。前週の203万1,000バレル減に続く取り崩しである。ガソリン在庫は142万7,000バレル増えた。
ロイター通信がまとめたアナリスト予想では、米エネルギー情報局(EIA)の統計で同じ週の原油在庫は90万バレル増える見込みだった。実現すれば5週ぶりの積み増しになる。APIの数字は、その予想と逆の方向を指している。和平の見出しが価格を押し下げようとするたびに、現物の需給が下から支えている。この日の下げが1%で止まった理由の一つは、ここにある。
数字が出た瞬間:決済価格は4週間ぶりの安値
ニューヨーク時間の午後、決済価格が確定した。ブレントは1.17ドル安の103.60ドルで、10月7日以来の安値。米国産のWTI原油は37セント安の96.09ドルで、10月14日以来の安値だった。朝の6ドルの急落は、終わってみれば1ドル余りの下げに縮んでいた。
| 項目 | 水準 | 種類 | 出所 |
|---|---|---|---|
| ブレント 11月2日 | 104.77ドル(−7.6%) | 決済価格 | ロイター |
| ブレント 11月3日の朝の高値 | 107.24ドル | 取引時間中 | オイルプライス・ドットコム |
| ブレント 11月3日の急落後の安値 | 100.80ドル | 取引時間中 | オイルプライス・ドットコム |
| ブレント 11月3日 | 103.60ドル(−1.17ドル) | 決済価格 | ロイター |
| WTI 11月3日 | 96.09ドル(−0.37ドル) | 決済価格 | ロイター |
| ブレント 大引け後 | 104.32ドル | 取引時間中(米東部時間16時25分) | オイルプライス・ドットコム |
| WTI 大引け後 | 97.24ドル | 取引時間中(米東部時間16時25分) | オイルプライス・ドットコム |
大引け後の取引では、API統計を受けてブレントは104.32ドル、WTIは97.24ドルまで戻している(いずれも米東部時間16時25分時点)。つまり3日の一日を通して見れば、ブレントは前日の決済価格104.77ドルから出発し、6ドルの谷を往復して、104ドル前後に帰ってきたことになる。
エピローグ:残された問いと、次の日付
この一日が残した問いは一つだ。原油は和平の「見出し」にはもう十分に反応している。だが和平の「中身」には、まだ一度も反応していない。合意案の文面も、ホルムズ海峡の再開時期も、誰も確認していないからである。見出しだけで6ドル動く相場が、本物の合意が出たときにどこまで動くのか。その答えはまだ出ていない。
次の日付は近い。米エネルギー情報局の週間在庫統計は、米東部時間4日10時30分、日本時間では5日0時30分に出る。APIが示した526万バレルの取り崩しが公式統計でも確認されるかどうか。同じ4日の東京では、休場明けの市場で三菱商事や三井物産などの総合商社が決算を発表する。原油の6ドルの往復を、エネルギー権益を抱える商社株がどう受け止めるかは、商社決算の論点で整理した。
火曜の朝、画面の前で6ドルの急落を見たトレーダーたちは、その日の終わりに1ドルの下げしか残っていないのを見た。和平の物語はまだ始まってもいない。始まったのは、見出しで動く相場という、別の物語のほうである。
主な参照
- ブレントとWTIの決済価格、ケシュム島攻撃、イラン高官とINGの発言、EIA統計の予想(ロイター、11月3日)/Central Oregon Daily掲載のロイター記事
- WTIの決済価格(96.09ドル)/MarketScreener(MT Newswires)
- ブレントの急落と見出しの経緯(11月3日9時35分、米中部時間)/OilPrice.com
- API週間在庫統計と大引け後の価格(11月3日16時、米中部時間)/OilPrice.com
- EIA週間石油統計の公表予定/米エネルギー情報局
データ基準日:2026年11月3日の決済価格(ニューヨーク時間)。朝の高値107.24ドルと安値100.80ドル、大引け後の価格は単一の報道による取引時間中の数値で、取引所の公表値ではない。急落の時刻のうち「午前8時20分ごろ」は報道に時間帯の記載がない。急落の原因は特定されておらず、見出しとの関係は報道の指摘にとどまる。米石油協会(API)の統計は会員向けで、数値は報道によるものである。WTIの決済価格を伝えたMT Newswiresは対象を1月限と表記しており、限月の表記が報道により異なる。本記事は情報提供を目的としたものであり、特定の銘柄や商品の売買を推奨するものではない。投資判断はご自身の責任において行っていただきたい。















