10月7日水曜、午前10時半。公正取引委員会がビール大手4社に強制調査に入ったという一報が流れたのは、東京株式市場の前場がまだ1時間残っている時刻だった。NHKの第一報は10時34分。その1分後の10時35分、キリンホールディングスは2,727円の安値をつけた。サッポロホールディングスは10時49分に、アサヒグループホールディングスは11時12分に、それぞれこの日の底を打っている。
疑われているのは、アサヒビール、キリンビール、サントリー、サッポロビールの4社が、卸売業者への出荷価格の引き上げ幅を示し合わせていたことだ。容疑は独占禁止法が禁じる「不当な取引制限」、いわゆるカルテルである。報道によれば、公取委は通常の行政調査ではなく、裁判所の令状にもとづく犯則調査の権限を使い、検察への刑事告発を視野に入れている。上場3社の株価は安値から半分ほど戻して引けたが、市場がこの日に消した時価総額は合計でおよそ700億円にのぼった。
ビール4社への強制調査まで(報道と公表資料による)
読み方:値上げは原材料高を理由に複数回行われ、その最中に酒税の一本化が進んだ。4社が値上げ幅を示し合わせていたかどうかが、今回の調査の焦点である。価格改定の時期は産経新聞の報道による。
午前10時半、立会場の外で起きたこと
この日の東京市場は、もともと重かった。前日に日経平均は終値で7万円台に乗せたばかりだったが、7日は朝から利益確定の売りが先行し、終値は648円27銭安の7万0,035円71銭。そこへ食品株への悪材料が重なった。
売りが最も速かったのはキリンHD(2503)だ。前日終値2,812円から、一報直後の安値2,727円まで3.02%下げた。下げ率が最も深かったのはサッポロHD(2501)で、1,874.5円から1,804.5円まで3.73%安。最後に底を打ったアサヒGHD(2502)は、1,592.5円から1,553円まで2.48%安だった。
だが後場に入ると、売りは続かなかった。大引けの終値はアサヒGHDが1,577円(0.97%安)、キリンHDが2,771.5円(1.44%安)、サッポロHDが1,841円(1.79%安)。3社とも、安値からの戻りが下げ幅の半分を超えている。一方、清涼飲料を手がけるサントリー食品インターナショナル(2587)は1.02%高の4,559円で引けた。調査を受けたサントリー(ビール事業の会社)は親会社サントリーホールディングスとともに非上場で、株式市場には逃げ場となる銘柄がなかったことになる。
ビール3社の株価:一報直後の安値と終値(前日終値比、10月7日)
読み方:3社とも一報から1時間以内に底を打ち、終値までに下げ幅の半分以上を取り戻した。アサヒGHDの終値での下げは日経平均(0.92%安)とほぼ同じである。サントリー食品インターナショナルは清涼飲料の会社で、調査対象のサントリー(非上場)とは別会社。出所:株探(10月7日の取引時間中の安値と15時30分の終値)。
巻き戻し——一木会と、酒造組合の会合のあと
時計を数年前に戻す。時事通信によると、4社の営業部門の課長らは「一木会」と呼ばれる業界団体の活動の一環として定期的に会合を開き、値上げの時期や引き上げ幅について情報を共有していた疑いがある。産経新聞は、ビール酒造組合の会合のあとに各社の営業課長らが非公式に集まり、ビールと発泡酒の1リットルあたりの値上げ幅を調整していたと報じた。いずれも関係者の話として伝えられたもので、公取委も4社も、具体的な行為の中身を公表していない。
この間、ビールの値段は何度も動いている。産経新聞によれば、4社は2022年10月に原材料高を理由に出荷価格を引き上げ、2023年10月と2025年4月にも改定した。そして今月1日、酒税の改正に合わせて主要商品の出荷価格を引き下げたばかりだった。
その酒税改正は、2020年10月から3段階で進められてきたものの最終段だ。財務省によると、ビール系飲料の税率は2026年10月に1キロリットルあたり15万5,000円、350ミリリットル換算で54.25円に一本化された。ビールにとっては減税、発泡酒と新ジャンルにとっては増税になる。各社がビール製法への切り替えや品目の変更を急いでいた、まさにその最中に、公取委は動いた。
市場は大きい。時事通信は、ビール市場をおよそ1兆円、発泡酒市場をおよそ4,000億円と伝えている。4社でこの市場の大半を押さえる寡占の構造のなかで価格がそろえば、影響は飲む人すべてに及ぶ。産経新聞は、飲食料品をめぐる公取委の強制調査はこれが初めてだと報じた。時事通信は、ビール大手が過去に何度も一斉に値上げしてきたこと、公取委が長年この業界を注視してきたことも伝えている。
4社のことば——「捜索」と「立入検査」
正午前までに、4社はそろってコメントを出した。テレビ朝日の報道によれば、アサヒは「公正取引委員会による強制調査を受けました。全面的に協力して参ります」。キリンは「今回の捜索を受けた事実を厳粛に受け止め公正取引委員会の調査・要請に全面的に協力して参ります」。サントリーとサッポロは、ほぼ同じ言い回しで「立入検査を受けた事実」を受け止め、調査に全面的に協力するとした。
4社とも「協力」を約束した点は同じだが、自分が受けたものを何と呼ぶかは割れている。「強制調査」「捜索」「立入検査」。言葉の差に法的な意味を読み込むのは早計だろう。ただ、ひとつだけ確かなのは、この先を左右する事実がまだ表に出ていないことだ。課徴金減免制度、いわゆるリーニエンシーである。違反を自ら申告した会社ほど課徴金が軽くなる制度で、どの会社が申告したのか、あるいは誰もしていないのかは、公表されていない。
700億円という値札は高いのか、安いのか
投資家がこの日に下した評価を、数字に置き直してみる。終値ベースで消えた時価総額は、発行済株式数で計算してアサヒGHDが約236億円、キリンHDが約330億円、サッポロHDが約132億円。合計で約698億円だ。安値の時点では合計約1,570億円が消えていたから、市場は午後のあいだに半分以上を取り戻したことになる。
では、カルテルが認定された場合の負担はどの程度になりうるのか。公取委の制度では、カルテルの課徴金は違反期間中の対象商品の売上高の10%で、期間は調査開始日から最長10年さかのぼる。違反を繰り返した場合や主導的な役割を果たした場合には1.5倍、両方なら2倍になる。刑事事件になれば、独占禁止法は個人に5年以下の拘禁刑または500万円以下の罰金、法人に5億円以下の罰金を定めている。
仮に、4社の対象売上が合計で年1兆円だったとする。これは時事通信が伝えたビール市場の規模を借りた機械的な置き方にすぎず、実際の対象商品や期間、各社の売上は何も分かっていない。それでも1年分で10%なら1,000億円、違反期間が「数年」に及べば、その数倍になる。比べる物差しとして、2023年3月に公取委が電力会社のカルテルに命じた課徴金は総額約1,010億円で、過去最大だった。このとき、調査開始前に自主申告した関西電力は課徴金を免除されている。
市場が消した時価総額と、課徴金の物差し(億円)
読み方:終値ベースで消えた約698億円は、仮定の1年分(1,000億円)にも、過去最大の電力カルテル(約1,010億円)にも届かない。ただし実際の対象売上・期間・減免制度の適用は不明で、仮定の値は予測ではない。出所:株探の株価と発行済株式数から本誌計算、公正取引委員会、東洋経済オンライン。
つまり、7日の終値が織り込んだ約700億円は、1年分の仮置きにも届かない。ただし、これをそのまま「割安」と読むのは物語を急ぎすぎだ。課徴金は4社で分け合うもので、そのうち1社は上場していない。減免制度の適用があれば、特定の会社の負担は大きく減る。そして、結論までには年単位の時間がかかる。市場がこの日に値をつけたのは課徴金そのものではなく、「何も分からない」という状態の値段だったと見るほうが自然である。
同じ頃、売り場では
この話には、株主とは別の登場人物がいる。缶ビールを買う側だ。ちょうど1週間前の10月1日、酒税の一本化でビールは安くなり、発泡酒と新ジャンルは高くなった。実質賃金は8月まで8カ月連続でプラスになったが、改善の半分は物価の鈍化によるものだった。その最中に、値上げの幅が示し合わされていた疑いが表に出た。家計と物価の関係は実質賃金8カ月連続プラスの読み方で、足元の物価の勢いは東京コアCPI2.7%の分析で整理している。
疑いの段階である以上、4社がカルテルを結んでいたと決まったわけではない。仮に認定されたとしても、過去の値上げがどこまで原材料高で説明でき、どこからが調整の結果だったのかを切り分けるのは、公取委と検察の仕事になる。
エピローグ——11月の決算説明会で問われること
次の場面は11月に来る。株探によると、キリンHDとサッポロHDは11月11日、アサヒGHDは11月13日に決算発表を予定している。強制調査のあと最初に経営陣が公の場で質問を受ける機会であり、引当金を積むのか、調査の範囲をどう説明するのか、そして10月の価格改定後の販売数量がどうだったのかが、そこで初めて語られる。
7日の終値で、上場3社の株価はまだ前日の水準を下回ったままだ。午前10時半に始まった物語は、まだ第一幕が終わったところにすぎない。
主な参照
- 強制調査の第一報(10月7日10時34分)/NHK
- 一木会での情報共有の疑い、ビール・発泡酒の市場規模/時事通信
- 酒造組合の会合後の価格調整の疑い、犯則調査権限、過去の価格改定、飲食料品で初の強制調査/産経新聞(Yahoo!ニュース)
- 4社のコメント/テレビ朝日(Yahoo!ニュース)
- 株価(始値・高値・安値・終値と時刻)、発行済株式数、決算発表予定日/株探 アサヒGHD・キリンHD・サッポロHD・サントリーBF・日経平均
- 課徴金の算定率・算定期間・加算/公正取引委員会、課徴金減免制度/公正取引委員会
- 罰則(第89条・第95条)/e-Gov法令検索(独占禁止法)
- ビール系飲料の税率一本化/財務省
- 電力カルテルの課徴金(2023年3月30日)/東洋経済オンライン
データ基準日:2026年10月7日の東京市場の終値(15時30分)。安値とその時刻は同日の取引時間中の値である。時価総額の減少額は株探の発行済株式数(自己株式を含む)に前日比の値下がり幅を掛けた本誌の計算で、実際の時価総額の算出方法とは差が出る。調査の中身(一木会、酒造組合の会合後の価格調整、対象期間など)は関係者の話として報じられているもので、公正取引委員会と4社はいずれも具体的な内容を公表していない。4社が違反行為をしたと認定されたわけではない。対象売上を年1兆円とした課徴金の計算は規模感をつかむための仮定であり、予測ではない。課徴金減免制度の申請の有無は公表されていない。本記事は情報提供を目的としたものであり、特定の銘柄の売買を推奨するものではない。投資判断はご自身の責任において行っていただきたい。












